小坪 - 三十三年大祭

須賀神社・森山神社 例大祭

須賀神社と森山神社の毎年恒例の夏祭り、
例大祭をご紹介いたします。

須賀神社 例大祭(天王様祭り)

この祭礼は毎年7月中旬に行なわれる小坪全町挙げての大祭です。宵宮祭り(よみや)、本祭、そして一週間おいて、納祭を迎えます。祭りの日は、親戚や外の町に出ていた人も皆集まるので、小坪の人口はいっきに増えてにぎやかになります。

宵宮祭り

各町とも山車は定位置について準備万端、整ったところで夕刻より御囃子が始まります。明日の本祭を知らせるための笛太鼓です。この日は2時間ぐらいで速やかに終えます。

本祭り

朝、祭典委員以上の役員は黒の羽織・袴、若衆は町名を染めぬいた半天・半股引、といったいでたちで須賀神社に勢揃いします。宮司の祝詞の後、お神酒をあげ、御神輿(天王様)は須賀神社から出発し、町内を廻ります。

御神輿は天王唄の調子にあわせて担ぎます。また、御神輿が担がれている間、天王唄は途切れることなく唄い続けられます。

山車もまた、御囃子の音を賑やかに町内を廻ります。

各町では必ず小休止があり、町内の人々が天王様にお参りをします。

天王浜には露店がならび、はなやかな盛り上がりを見せます。

夕方、天王浜で祭り最大のクライマックスをむかえます。御神輿をおろすため、若衆と年よりの争いとなり壮烈な攻防を演じます。最後はつぶされて終わり、御神輿(天王様)は天王浜にある御仮屋(おかりや)に安置されます。御囃子はそのまま夜まで鳴り響き、本祭の余韻を残します。

御渡り中(奉納演芸)

御渡り中の天王浜では天王様が安置されている御仮屋の正面に舞台を設け、奉納演芸が催されます。

夕方、堤灯に灯りがともる頃になると人々が集まりはじめ、夜の天王浜は賑やかになります。

納祭

一週間後、御神輿(天王様)は再び御仮屋から姿を現わし、山車とともに町内を廻ります。

そして夕刻、町内を練り歩いていた各町の山車や御神輿は、須賀神社のすぐ横(小坪バス停前)に全て集結し、御囃子合戦で盛り上がります。

御神輿(天王様)は、もみながら激しく担がれ、須賀神社へと向かいます。また、須賀神社の前では御神輿をおろすため、再び壮烈な攻防を演じます。最後はつぶされて終わり、神社に納められます。

森山神社 例大祭

世計り神事

森山神社に古くからつたわる世計神事延宝二年(一六七四)「新編鎌倉誌」「和漢三才 図会」(一七一五)にも記載されている通り、江戸時代この神事が行われて居り、現在 でも毎年氏子の方の御奉仕により伝承されている由緒ある神事であります。

世計り神事

世計り神事は例祭とその前夜に行われる

例祭早朝、氏子総代が神社に集まる。黒漆塗り扉にツルの丸紋所を描いた水屋の中には 二個の丸い木だるがある。氏子たちは水屋をかついで神社の北方三粁はなれた吾妻神社 に神泉をくみに行く。本社にもどってくると宮司は古法通り水量をかめに入れて、次い でこうじを入れる。そのかめを正方形の木箱に納め、上からおとしぶたをする。ふたは 円形に十二支がかいてある。

世計り神事

また、四すみに東西南北とかいた木札をかんぜよりでくくりつける。木箱に外ぶたをし 、神殿の扉をあけて安置する。一年経過、例祭の前夜、神殿の木箱をとり出しふたを開 く。かめの水は酒精に変っている。

発酵するじよう気のためかんぜよりがくさって木札がおとしぶたの上におちている。南 の札が落ちていると南風の強い日が多く、もし木札が全部おちていると天候平穏という 判定になる。

ついでおとしぶたをとりさって、かめの酒精水の減り具合を物指で計る。水が半分に減 っていると来年は凶作である。減り方が少ない程豊作という事になる。またこれがにご っていると気候不順の予兆である。宮司はその結果を半紙に書いて神殿の柱に張り、住 民に知らせる。これが世計りである。古代人は発酵現象に神秘を感じ神秘性を基にした 年占で古代は十一月十五日正月十五日となっていたという。

全国的にみて珍しい神事で末永く伝承したいものである。

Page Top