小坪 - 三十三年大祭

伝承文化
須賀神社・森山神社
三十三年祭由緒略記

小坪氏子総代会

三十三年目ごとに行われる、小坪須賀神社と葉山町一色の森山神社が一緒になって行 う大祭は、三浦古尋録によれば、一千年以上の長きに亘って続けられているとのことです。

宮司家の神幸記録によれば、この祭りは、明治三十三年九月五日に行われ、次は昭和 七年八月二十一日、さらにその次は、昭和三十九年九月十三日に行われました。そして今回は、平成八年九月十四日に行われますが、これは、長き伝承文化としての 祭りごとであります。

三十三年目という年代の起源は定かではありませんが、わが国には古くから人は年代 ごとに祝いの節目があり、故人も何回忌といって供養をし、共にその時点を一つの節目 即ち良き機会として祝福しまたは供養するという、良き風習が残されております。 即ち、須賀神社、森山神社の大祭も久し振りですが、一つの節目、良き機会としてあ らためて夫婦神(めおとがみ)の神格を確認し、神慮(しんりょ)に景仰(けいごう) するための特殊神事(神婚祭)でもあります。

須賀神社の祭神は、須佐之男命(すさのうのみこと)(男神)(おがみ)であり、森 山神社の祭神は櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)(女神)(めがみ)であります 。 この夫婦神(めおとがみ)については、三十三年目ごとに須佐之男命の神輿が葉山の 櫛稲田姫命のもとに七日お泊まりに行くと言う伝説がありますが、明治以降は三日間と なっているようです。 男神を迎える側が女神であることは、古代信仰の論理であり、古代祭祀が行会祭り( ゆきあいまつり)として伝承されてきたものと考えられます。 現代風では、一つのロマン的神事とも言えましょう。

神事は、須賀神社において修祓(おはらい)祝詞奏上等、祭儀を済ませた後、氏子に よって各町を巡幸のうえ、神輿と鉾、大榊等を飾り付けた車と、これに各町がこれまた 華々しく飾り付けた囃子山車が供奉して進発致します。 森山神社に到着しますと、神輿を本殿に奉安して両宮司の祝詞奏上、玉串奉奠があり 、このあと直会(なおらい)に移ります。 須賀神社の神輿は、この夜お旅と称して社殿脇の幄宮(とつみや)(お仮屋)に遷座 、お休みになり翌朝森山神社の氏子によって町内を巡幸し、その夜再びお旅せられて三 日目の朝、当所氏子によって還幸に移り、途中小坪入り口で小休止、シャンシャンと手 を打って小坪側氏子が承継し、須賀神社に還幸されます。

両社の古老の話によれば、人がこの世に生まれ来て三十三年ごとの大祭を三回も迎え られると言う事は長生きの証として、目出たい盛大な祝事として喜ばれております。 明治、昭和初期の祭りは盛大で、小坪住民は神輿山車と共に大勢の人が森山神社まで ついて行き、当日は、家中が留守になったと言われています。 また、巡幸の沿道も至る所で多数の人達が出迎えをし、大変な賑わいでした。 昔は道路が整備されていなかったので、一部は海上を渡御されたとも推測されています。

当時は、マスコミも発達していない時代でしたが、現在では三十三年目ごとの奇祭と して、内外に報道される事と思います。 なお、余談になりますが、須賀神社の神輿は三十三年祭以外に、昭和四十七年八月、 NHK主催の「ふる里うたまつり」が三浦地区で行われた祭、逗葉代表として出場し、 伝承ある神輿祭礼を披露、これが全国に放映されて、今に残る奇祭として感動を与えました。

「付記」
本冊子作成に当たり、朝日新聞逗子西部販売店殿の一方ならぬご協力を賜りました事をご報告致すと共に、この欄をお借りして厚く御礼申し上げます。

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