小坪 氏子だより

平成8年3月1日(第6号)

発行: 小坪氏子総代会
編集: 氏子報編集委員
代表: 一柳 秀一

今月号は、小坪に伝わる天王唄とお神興の担ぎかたの基本と「三十三年祭の想い出」また最近話題のインターネットを紹介します。小坪で生まれ育った青年が、インターネットを利用して「小坪の名物、名所、祭礼」等を日本全国と世界へ発信します。

天王唄と御神輿の担ぎかたの基本

笛正会 高橋 正義

今回は、表題について、私の意見を書き皆様のご意見を頂ければ幸いと思います。ご存じの通り天王唄の囃し言葉は、二つありましてその二つ共が神輿の担ぎ手が唱えるものです。まず最初の「ハーヨイ」は、目出た目出たの若松様よで「ハーヨイ」ですが、ここは囃し声だけです。次は、枝も栄えてで「ヤンデー」ですがこの「ヤンデー」で勢い良く神輿をもむのですが、神輿を降ろす時以外は唄い手の最後の文句の「オーオ」迄にもみ終り次の唄を待つのが良いのです。

こうして小坂天王社をはじめ各町内のお渡りを経て天王浜に至り、祭の最大のハイライトとなる訳ですが、天王浜だけでなく御神輿を降ろす時に世話方衆が掛ける声に「ソーロエ」とゆう掛け声がありますが、この言葉には重大な意味があるのをご存知でしょうか?そもそも「ソーロエ」とは、私事で恐縮ですが、昭和26年の秋に私に私の囃子の師匠でありました角田米蔵さんが、魚屋の店を出す都合で小坪から出てゆく事になり、伊勢町の囃子の後継者として指名されました。25歳でした。私がこの事を父に話すしますと父は、いろいろ祭りの心得を話してくれました。その中に「ソーロエ」があったのです。「ソーロエ」とは実はその上に「御免」が付くのが正しいと言うのです。つまり「御免候エ」を略して「ソーロエ」と唱えているのだと言うのです。御神体の入った御神輿を降ろす為とはいえ、屋根まで上がる事もある真に恐れ多い事で天罰が当たると昔の人は考えたようです。そこで昔は「御免候エ」「御免候エ」と声を掛けながら神輿に飛び付いて言ったそうです。それが年代を経るに従って上の二文字が省略されて、「ソーロエ」「ソーロエ」と唱えられるようになったのだそうです。私はこの話しを確かめる為にその後、多数の老人にこの話しを聞きました。殆どの人がその通りだと言われました。

その中のお一人が前にも書きましたが、長年御神輿のお守りをなされました常盤岩吉さん(清岩さん)でありましてその時に御神体の話しが出ました。前々から牛頭天王という神様に関心を持っていた私は、ますます牛頭天王に引かれ浅学なままに調べてみました。そもそも牛頭天王様とは、印度ではお釈迦様より千年も前から祭られていた疫病(エキビョウ)の神様といわれています。印度では、一度(ヒトタビ)疫病が流行しますと、10万人単位の人が犠牲になるといわれ、民衆は恐れ戦くばかりでした。そしてこれは、牛頭天王様のお怒りであると考えそのお怒りを鎮める為に神輿を作り神輿祭りをして疫病が収まりますよう祈ったという事でこれが御神輿祭りのルーツだと言われる所以です。素戔鳴尊と牛頭天王を合祀するお宮は、日本中にはかなり多くあるそうです。御両神様は、一度怒れば想像を絶する御力を発揮なされ、又常には国中の民に慈悲をお授け下されまして、特に病に強い神様なのです。怒りを鎮める為とはいえ神輿に飛び掛り又、上に登る事もあるのですから「御免候エ」と声を掛けて降しにかかるのが昔からの正しい仕来(シキタ)りであった訳です。

ですから小坪のお天王様の神様の御神輿には「ソーロエ」が掛かった時以外には乗ってはいけないのです。この様な事が言われなくなって久しいのでお祭りにも小坪色が段々無くなって来ましたが「三十三年祭」を良い機会に正しい御神輿の担ぎ方と降ろし方を知って頂き、盛大にして楽しいお祭りが出来ますようにお願い申し上げます。楽しくなければお祭りではありませんので。

三十三年大祭 特集

インターネットで三十三年祭を世界へ発信

第2大洋 松坂 有二

みなさん、最近インターネットという言葉をよく耳にしませんか? インターネットとは、コンピューターと電話回線で繰り広げられる、世界規模の通信網(ネットワーク)のことです。パソコンに電話線をつなげば、自宅にいながら世界中の人と話をしたり、いろいろな国の風景を観賞したり、日本では報道されていないニュースを見たり、さまざまな情報採取、情報交換ができるのです。

インターネットが、今までのテレビや新聞などの情報メディアと大きく違うのは、受け身でしかとらえることのできなかった一方通行の情報から、自分も情報発信者として自由に参加できるようになったことです。誰でも手軽に情報を発信できるので、いろいろな情報が飛び交っています。しかもその情報に制限はありません、世界に向けて発信できるのです。

このようにインターネットで情報を提供している場を、ホームページといいます。テレビでいえば番組、新聞などでいえば紙面のようなものです。また、ホームページには必ずURLという住所があります。このURLをキーボードから打ち込めば、世界中のどんなところ(ホームページ)でも見ることができるのです。

さてこのたび、インターネットに小坪を紹介しているホームページをつくってみました。小坪の風土、特選情報、三十三年祭など、とにかく楽しい情報や新鮮な情報など、たくさん詰め込みたいと思っています。また、小坪の紹介だけでなくこのホームページを見てくれた人たちの情報・意見交換の場、または伝言板としても役に立っていきたいと思います。何せ、ぼく個人が独断で掲載している情報なので多少は、 個性的、好き勝手、いいかげん…何とでも言えるかもしれません。まあとにかく、請うご期待!

三十三年祭の思い出

南町 高崎 久次

前回の三十三年祭は昭和39年でした。当時はまだ海岸は埋立ておらず広々とした砂浜でした。私はこの年、南町の町頭として祭に参加しました。当時は現在のような祭礼方式はなく、浜四町内(南町、伊勢町、中里町、西町)で祭典委員会を組織しました。当時小坪には会館がないため、現在中里町の「子の神社」のある場所に小坪消防第7分団の詰所があり、そこを本部として会合を重ね祭礼の準備をしました。

各町内の山車はトラックに飾付をしました。南町は既存の山車の足部を切取りトラックに飾付をし葉山へ、一般参加者の方はバスで葉山へ、私達は徒歩で現地へ、お神輿は谷戸(現大谷戸会館)まで担ぎ渡御し、そこから逗子駅まで車で、駅前より逗子本通りを通って六代五前まで担ぎ、再び車で葉山真名瀬海岸まで、そして森山神社まで葉山の町を練り渡りました。葉山からは、森山神社の氏子により還御されました。葉山の氏子の方々の休息していただく場所は、小坪寺の庫裡を使用させていただきました。

皆さん三十三年大祭に参加しませんか!

氏子総代会

三十三年大祭に向かって各町内では準備に取りかかっております。一人でも多くの方に参加していただき三十三年毎のこの大祭を盛り上げましょう。特に歴史と神輿の重さを身体で感じ汗してみようと思う青年の積極的な参加をお待ちしております。

参加を希望される方は、各町祭礼委員会または氏子委員までご連絡ください。

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