小坪 氏子だより

平成8年2月1日(第5号)

発行: 小坪氏子総代会
編集: 氏子報編集委員
代表: 一柳 秀一

須賀神社の祭礼は「御輿」「お囃子(太鼓・横笛・摺り金)」「天王唄」で小坪らしさの祭がはじまります。 本号は「御輿の御神体」「天王様祭の準備」「御輿がテレビに出演した様子」等について特集しました。

御輿の御神体

東谷戸 高橋 正義(伊勢町出身)

みこしの御神体は、牛頭天王様であるという事は広く知られているところですが、御神体を直接拝んだ人は短命であると昔から言い伝えられています。私の知る限りでは、御神体を直接拝んだ最後の人は長年みこしの守り役をなさいました常盤岩吉さん「通称清岩さん」でありました。私は常盤老人から御神体を拝んだと聞き更に確かめました。常盤さんの話しでは、護符に描かれた天王様は白い衣を着て座っておられた。御顔は赤く頭に角(つの)があったと言う事で伝え聞く牛頭天王様であると思えました。老人は御神体を拝ます時禊(ミソギ)をし身を清めて拝んだそうです。短命だった人達の事を聞きますと信心の無い者が、やたら見てみよう等という心で拝むから罰が当たるのだ身も心も清めて拝み奉れば神様は罰など当てられはせぬものと心得なと論されました。常盤老人は、天寿を全うされました。確か明治15~6年生まれの人でした。

天王様祭と子供達

岡本 常二郎(昭和54年~58年3月 区長)

小坪の祭礼といえば須賀神社の祭でしょう。小坪を離れた人も祭を見るため帰って来ます。現在は子供が少ないため町内の祭礼、役員は祭の盛り上げをはかるため祭が近づくと子供達に太鼓の練習を呼びかけ指導します。この練習により祭の初歩から団体行動、思いやり等について体験します。祭の当日子供達は、御輿をかつぐ若い衆の汗まみれの顔、それを見守る先輩の眼、そして御輿をとりまく顔、等々多くの子供達が大人の行動を見て成長します。成人になり祭に参加した喜びを互いに話し合える仲間意識が、災害等発生した時の迅速な協力体制の一助に必ずなると信じます。祭がくるたびに、小坪の「祭のよさ」が後世に伝承される喜びを強く感じます。

天王様祭の準備

伊勢町 翁川 与助

この祭礼は小坪全町挙げての大祭で、小坪の年間行事の中最も力を入れるもので誇りを持っているものです。この大祭を執り行うに当たっては、準備が大切で5月に入ると、祭典の役員を選出し役員の指示により、屋台係、揃の着物注文、提灯の修理、子供の太鼓練習、のぼりをたてる等、町内の人は協力し合い、祭の前日迄準備に追われます。昔は、7月14日宵祭、7月15日本祭と決まっていました。

三十三年大祭 特集

NHKと須賀神社「昭和47年9月14日 御輿テレビに出演」

中里町 高田 久男(昭和42年~48年3月区長)

昭和40年代頃NHK人気番組「ふる里うたまつり」は、人気アナウンサー故宮田輝さん司会のもと、全国の珍しい祭り風景や又其の土地々々の風俗歴史名所等々を紹介する番組で全国的に好評で高視聴率を受けた番組でした。その番組の制作に神奈川県に求めていたところ三浦半島地区で行うことになりました。郷土の宣伝と文化的芸能に誇りを持って歓迎されました。逗葉地区では、郷土芸能としていろんな選考基準の結果長い伝統と歴史のある小坪須賀神社の海で働く者の往時の心意気を示す独特の祭風景を再現させて貰い度いと市当局を通じて小坪地区に話しが来ました。

昭和47年の春ごろでした。地元としてもまたとない機会であり全国ネットワークを通じて茶の間の皆さんに見ていただこうと早速小坪囃子保存会、小坪区会、氏子総代会で協議して受け入れを決定致し其の準備に取りかかりました。NHKのことであり決定されて以来事前調査はやかましく神社の歴史や祭事、又地域の環境等をよく調べて行った事を記憶しています。それが祭り実演の時、宮田アナウンサーが述べる資料だったと後で解りました。祭りの主体は保存会が中心で連日太鼓の練習や其の他の準備を重ねました。区会、氏子は対外接渉や其の他環境作りをやり三者一体となって取りかかりました。

そして昭和47年9月愈々出演当日がやってきました。神輿、大榊、鉾と献上品等々トラックに乗せて出演者全員はバスに乗って早朝小坪を出発して8時前には会場である三崎の旧魚市場の会場に到着、早速係員の点呼や撮影に当たっての諸説明があり若干の休憩後、1回目のリハーサルに入り限られたスペースの中、白線の引いてある中で神輿渡御の順序行列の進め方係員の指示に従ってなかなか大変のようでした。そして2回目のリハーサルは本番前であり司会者の宮田さんもラフな服装で参加され神輿に合わせて須賀神社の由来や地域の紹介等メモを見ながら一句一句自分に言いきかせるように話されていました。その時はゲストとして出演した、橋幸夫さん、天地真理さんも色合わせのため出場され、我々出場者も段々と緊張してきました。ライトを初め諸器材総てのテストが終わり、午後の本番にそなえて皆で昼食をとりながら雑談に花が咲きました。

やがて午後になり出演順が廻って来て愈々本番撮影です。会場一杯の人、人の波、輝くライトの眩しさ、名司会者宮田さんも正装で先程のメモも全部暗記され堂々と一句一句間違いとか省略はなく説明される中、会場一杯に繰り広げた祭りの風景の撮影です。太鼓、笛、鐘等の高鳴る中、祭り半天が威勢よく神輿を担ぐ若者又、それを盛り上げる世話役も昔の服装で陣笠をかぶり青竹の棒が飛び交う中、会場内はびっくりどよめき絶大な拍手で感動を与えたようです。宮田さん初めゲストの橋さん、天地さんも本番でびっくりしたようでした。盛り上がった所で神輿を降ろし皆でシャンシャン三拍子で撮影も終わりました。

終わった後で、宮田さんいわく「私も全国到る処に行ってますがこのような神輿の担ぎ方は珍しく奇祭として心に残ります」あの温顔なニコヤカな大きな姿が目に浮かびます。役員のどなたかが神前に献上した大きな鯛一対を宮田さん初めスタッフに上げたら、こんな大きな鯛が小坪でとれるのですかと喜んでいました。ゲストの橋さん、天地さんの唄も終わり夕方帰路に着きました。朝早くから緊張の連続から解放され、そして見事に実演に成功し喜び合い、バスの中で「ふる里うたまつり」の唄を歌いながら次の放映日を楽しみに一日が終わりました。

それから少したって10月12日午後8時放映の時間です。家中テレビの前に釘付け、又事前に連絡を受けた親戚や知人も目を向けていた事でしょう。1時間感動の放映時間が終わるとすぐに全国の親戚、友人、知人から数多くの電話が小坪にかかってきたと聞いています。小坪の小さな社殿の神輿が県下に名高い社殿が多数あるなか全国的に披露された事は住民として誇りに思います。

今年は三十三年大祭です。伝統を守り盛り上げましょう。

御寄付のお願い

「三十三年神婚祭」の御寄付のお願いに平成8年2月より氏子委員が中心となり伺っております。ご協力をよろしくお願い申し上げます。なお寄付をして下さった方々のご芳名は小坪バス停付近に貼札させていただきます。

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