小坪 氏子だより

平成7年12月1日(第3号)

発行: 小坪氏子総代会
編集: 氏子報編集委員
代表: 一柳 秀一

平成8年の初詣りは小坪天照大神社へ

小坪天照大神社は、例年通り歳旦祭を執行します。ご家族お揃いで初詣りにお出かけ下 さい。 参拝の方に

氏子総代会近況報告

絵馬製作中 平成8年「子年」
氏子総代会手作りの絵馬に1年の願い事を記してみませんか。氏子委員の小柴さんは木地板、池田さんは絵を担当し、小坪天照大神社にしかない特徴を出しています。 皆様の健康と繁栄等を願って、心を込めて製作中です。ご期待下さい。
“祝”七.五.三.おめでとうございます
11月12日(日) 早朝より天照大神社境内の清掃実施

氏子総代会の諸行事にご協力ありがとうございました。

私達は平成7年4月の役員改選に伴ない、5月より引継いだ1年生です。ご協力に感謝しま す。平成8年もよろしくお願い申し上げます。

氏子総代会委員一同

南町 伊勢町 中里町 西町 西谷戸町 東谷戸町
一柳 秀一 高橋 登 高田 久男 長沼 利夫 井上 哲吉 高井総一郎 武樋 昌吾
小柴 博 矢部昭太郎 花本 悦二 中里 嵩 池田 博範 日夏 昭 岡本 彬

三十三年大祭 特集

おみこし についてのおもいで

伊勢町 翁川 実

いつも敬愛の念(おもい)を注ぎ、仰ぎ見るお神輿をご覧になって皆さんは如何ですか ?木目のまゝの生地で頑丈な造りは、華美に流されず、質実剛健さを表わし、胴周りの 部分には深い彫物、細やかな細工の瓔珞で飾られ、東西南北の四方には神境も二面ずつ 計八面下げられています。その中の一面には寛保3年(1743年)の銘が刻印されています。

神輿の型は、宝形造り(ほうぎょうづくり)とでも申すのでしょうか、屋根を上から見ますと三角形を四つ合わせた形となり、輪形の金具も取付けられ中央に露盤という四角な台 座、台上には周りを睥睨(へいげい)する鳳凰が鎮座、豊作を約束するかのように稲穂を口に含んでいます。四隅には玄鳥(げんちょう・ツバメ)。燕はすばしこく速いので 天帝(神)の使いとして古来より人に知られています。燕はいつでも飛び出せる姿勢を しているのが見られます。鳳凰については、幼時の頃の想い出がありますが後述します 。

昔から小坪で生まれ育った人が年頃となり、結婚や仕事の関係で小坪を離れ、遠くで 生活している人でも天王さまの祭りには故郷の小坪へ多くの人が帰省するのを常とした 。これは昔から承け継がれた伝統文化の天王祭と云うこともさることながら、小坪の風 土が誰に教えられたものと言うのではなく極く自然に小坪の人々の身と心に沁み込んで いるのではないでしょうか。そんな思いが致します。神輿の周りは常に人だかりでいっぱい、痩せていたけれど父は割合と背が高かったので親父は毎度幼児の私を肩車にして 人の後ろで指さしながら言ったものです。「ホーオーサマをヨーク見ておけよ、アノホーオーサマはナア…日本に三つキリない、一つダゾ」と、父を始め当時の古老たちの 話をよく聞かされたものです。

どんなご縁がありましたことやら、こゝ数年お仮谷での宿直(とのい・俗に留守番)のことを南の盛栄さんがこの話をもってきました。なんの 予備知識もないまゝ引受けましたのも、お神輿は遠くで拝むものとばかり考えていましたのが急に身近に感じられ宿直の折などに良く観察できれば何かが判る、さすれば幼時の遠い夢がかなえられるかの一縷の望みもありました故です。

そして3年目のある日、 年配の方と息子さんらしき二人がお詣りに来られ、しげしげと神輿を眺めながら、自分の身内に会ったようだナア…などと話していました。この方達は宮大工さんで、以前修理を手がけた事があると言っていました。 もしやと思い鳳凰のことを尋ねてみるに、宮大工さんは言った。神社の名前までは判ら ないが現存しているのは京都、東京、そして当小坪で丁度三体になると教えて下さった。全解とまではいかないが幼時の頃に聞かされた日本に三体と在るのは確かなようだ。 どなたかご存知の方はご教示下さい。

編集後記

「小坪氏子だより」発行にご協力ありがとうございました。特に2号は全部手作りの為 、一部の印刷を“うしおフードセンター”根岸俊二氏、ワープロを小坪2丁目岡本真理子さんのご協力により発行しました。皆様の善意に励まされた3ヶ月でした。

編集者 岡 本 彬

Page Top