小坪

小坪は、ふるさと … 小坪のむかしばなし …

文: 高橋 正義

鬼も参った河豚の毒

昭和24年の春です。この年は、春鯖(さば)が釣れた年でした。私の家でも、戦争中出征していた兄たちが、中国やソビエトから引き上げてきました。親子四人そろいまして、主にシラス漁をしていました。しかし、シラスが取れなくなると、春鯖を釣りに行きました。
秋谷沖で鯖を釣っていたとき、それまで盛んに釣れていたのに、潮の流れのせいか、魚がかからなくなりました。昼食には少し早かったのですが、食べられるときが食事時です。今釣ったばかりの鯖をぶつ切りにして、味噌汁を作り食事を始めました。
このとき、老人のご兄弟が隣に舟を浮かべていました。井上角太郎さんと忠助さんでした。お兄さんの角太郎さんには、鬼角(おにかく)という渾名(あだな)がついていました。若いときには、たいへんな武勇伝があったのだそうです。
私たちが知る頃には、怖そうなのは顔だけで竹を割ったようなサッパリした人でした。銭湯の常連でもありました。私たちは鬼角さんと言えないで、橋本の角さん、つめて橋角さんと呼んでいました。
その角さんが、飯を食いながら「おれも結構、悪者食い(わるものぐい)をしたが、赤目河豚(あかめふぐ)を食ってとんでもねえ目にあったことがある」と、話し出しました。

それはな、三年前の冬のことだった。日の暮れるのを待って忠(ちゅう)と二人で、夜の打ち網(ぶちなわ)に出たんだ。鐙摺り(あぶずり=葉山漁協の東)から始めて、東へ東へと網を打って行ったんだが、何回やっても何もかからねぇ。大崩れ近くまでやったんだが、かかったのは赤目河豚一匹だけだ。
「こんなに獲れねえことも珍しいな。飯でも食って帰ろうか。忠、オジヤを作れや。さっき網にかかった河豚を入れてな。」
「兄い、これ一匹しかねえからキモもツブッ子も入れるか。」
「そうだな、全部入れちまえや。」
忠さんが手早く河豚を切って、火にかけて煮たのですが、
「兄い、ちっとも煮えねえなどうしたもんだ。変だな、風もねえし。火も良く燃えているのに。いつまでもドロドロしていて変だぜ。」
「でも、こんだけ時間をかけて煮たんだからどうってことあるめい。飯をぶっこんでくっちゃおうよ。」
何だかヌルヌルしてうまくなかったけれど、風がねえし艪(ろ)を漕いで小坪まで帰らなければならないので、オジヤをきれいに食べた。煙草を一服して、さあ帰んべえと、立ち上がろうとしたのだが立てない。
「兄い、足がたてねえ。」
「おお、俺もだ。さあ大変だ。河豚の毒に当たったか。」
「兄い、どうする?」
「忠よ、膝がガクガクで足先は立てねえが、どうにか立て膝ができそうだ。幸い風が吹いていねえから、膝をついたままで艪をこぐべえ。」
「それから、こんなときは眠くなると聞いている。寝れば死ぬそうだ。俺が居眠りをしそうになったら、どろぼうき(ワラで作ったほうき)で俺を殴ってくれ。われが居眠りするようなら俺が殴るから」と。
そして、二人で声をかけあいながら這いずるような格好で、どのくらい時間がかかったのか、やっと小坪に帰ってきた。砂浜に舟を乗り上げて、波打ち際を歩いていたらだんだん歩けるようになってきた。しかし、一生の中で一番危ない目にあったよ。おめいたちもいろんな物を食うだろうが、河豚のツブッ子だけは食うなよ。あれは煮ても焼いても食えねえもんだからな。

鬼角さんもやられた河豚の怖い話しです。

※ツブッ子とは、メスの魚の腹に入っている腹子
※平ッ子とは、オスの魚の腹子

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