小坪

小坪は、ふるさと … 小坪のむかしばなし …

文: 高橋 正義

漁師の天気予報「鳴りと鳴き(泣き)」

「遠足だ、遠足だ,あしたは遠足だ。」
私は、歌うように帰ってきました。そして、漁から上がって家にいた父に、「とっちゃん、あした天気いいかなあ」と聞きました。父は、「浜に行って大島の煙を見てこよう」と言いました。
この時代は、晴れていれば、大島も三原山も御神火もよく見えました。私は、素っ飛んで浜に行って、じいっと三原山から立ちのぼる煙の曲り具合を頭に入れて、「とっちゃん、真っ直ぐよりちいっと右の方に曲がっていたけんどどうかなあ」と、報告しました。すると、父は、「う~ん間違いねぇ、あしたはいい天気だ」と言いました。
私たちが子どもの頃(昭和の初期)、小坪には、漁師をしている家がたくさんありました。漁師をしている人たちは、みな天気をよく言い当てるのでした。そんな中で、小坪で一番と言われた天気予報の名人がいました。良平(りょうべい)のおじいさん、若菜傅吉さん(昭和7年生れ)でした。

私も終戦後、父と漁師をすることになりましたので、天気予報ができたらどんなにか仕事のうえで助かると思い、父に聞きました。その修行方法も教わりましたが、それは根気のいることでした。
まず、三つの原則があります。それに潮時(しおどき)をかけるのですが、言われて分るような単純なものではありません。夜中の1時と3時に起きて浜の中ほどに立って、まず、鳴りを聞くのです。
その第一…大神宮の森の鳴り、ザワザワ、ザワザワ、ザワザワ、
第二…寶塔様(ほうとうさま)の鳴き、シュクシュク、シュクシュク、
第三…大崎の鳴り、ザワザワ、ザワザワ、ワーン、ワーン、
この三つの原則を雑音の中から聴きとり、鳴き具合に潮時をかけて、さらに、季節を加え答えをだすのです。最初、私にはなかなか分からなくて父に聴くのですが、笑っていて、そのうち分かるさというばかりでした。
この時代は、家庭に風呂などないのが当たり前でした。みんな銭湯に行きました。私はお年寄りの話を聞くのが好きでしたから、よくお年寄りの背中を流して話しを聞かせてもらいました。天気名人の良平のおじいさんの背中を流しながら、教えてくださいと頼みましたが、おじいさんも「そのうち分かるさ」と笑っていました。
そんなことが何回か続いた後、「紋四郎のあにいよ、お前のとっちゃんも天気読みの名人だよ。ただそうなるのには根気だよ。お前のとっちゃんの言うことも俺のいうことも同じさ。わけえ者は夜遊びもするだろうし、天気予報は早起きしなければならないし大変だよ。だけど、天気予報は漁師にとって命を守る一番の技だ。小坪みてえな鍋の底のやおな海でやっていりゃいいが、三崎を超しゃ大海だ。天気を見る癖をつけとけば、ほかへ行っても通用するよ。お天気というものは読むものだ。その元になるのは鳴りだ。なれえ(北風)は、大神宮様の上の鳴りが大きいか小さいか、風(南風または西風)は鳴りが大きいか小さいか、大崎にくっついているか離れているかだ。雨は、寶塔様のなきが大きいか小さいかだ。よく聴き分けねえとな。それに、一回で分からなければ二回、三回とな。それと、浜に発つときは何も考えねえで、早く鳴りを聴く気持ちになることだ。その積み重ねだよ。」

このおじいさんの話に引き込まれました。
私は、この「鳴り」と「鳴き」を修得するだけで約一か月かかりました。ただ、天気予報に自信がつくまでには、さらに三年ぐらいはかかりました。
昭和23年の話です。

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