小坪

小坪は、ふるさと … 小坪のむかしばなし …

文: 高橋 正義

縄舟の神様 白鬚様

第二次世界大戦が厳しくなる少し前の、のどかな秋の日曜日のことです。
久しぶりに会社を休めたので、朝寝坊した私は、のろのろと浜に出てみました。その頃、小坪の浜は豊かな砂浜でした。舟はほとんど出漁していて人影もまばらでした。
そんな浜にムシロを敷いて、一人の老人がせっせと何かしていました。老人とはいえ、その大きな体、がっしりした後ろ姿、私は老人の前に回って砂の上にしゃがみ込んで、「おじいさん、精が出ますね」と、声をかけました。
このおじいさん、あだ名を「伊平の大仏様」と言われた人でした。口数のあまり多くないこの老人が、あぐらをかいてじいっと座っていると、ほんとうに大仏様を思わせる風があるのです。若いときは大力でならしたそうです。老人は、せっせと麻縄をなっています。麻は日本麻という丈の長い麻で、直径3から4ミリの太さで、すでに百尋(ひろ=両手を広げた長さ)近くなってありました。
「おじいさん、何縄を作るの」と聞きますと、ボソッと、「どち縄だ」と一言。「ふうん」、私は黙って老人の手元を見ていました。どち縄とは、どち鮫(さめ)を釣るはえ縄のことです。十分ほどの沈黙の後、老人が、「わりゃ、お前は話しが好きだったな。」と言いますと、こんな話しをしてくれました。

魚釣りの神様が、お恵比須(えべっす)様ぐれぇは知っているだろうな。じゃ縄舟(なわふね)の神様は知っているか。知らねえだろう。それは白鬚様(しらひげさま)だ。飯島の磯の先(はな)に社(やしろ)があるだろう。あの白鬚神社の神様だ。
昔、白鬚様が、自分の所へ百人も神様を迎えることになった。その神様に魚をお供えしなければならないのだが、百匹の魚をどうすれば釣ることができるかと、百人考えたがその方法が分からない。
考えあぐねたすえ、白鬚様は、お恵比須様の所へ行き、「百匹の魚を釣る方法をお教えください」と、お願いしたのだ。お恵比須様は、しばらくお考えの末、「良い方法を教えよう。細くて長い縄を作るのじゃ。そして、その縄に百本の枝針をつけ、それに餌をつけて海底に下ろし、一時(いっとき=約二時間)たったら上げるがよい。百匹の魚がかかっているであろう。」と教えてくださったのだ。
喜んだ白鬚様は早速、その縄を作り漁をしました。縄を海底に下ろして一時。縄を上げてみますと、お恵比須様の言われた通り続々と魚が上がってきました。白鬚様が数えてみますと、九十九匹吊釣れました。一匹足りません。どうしたことかと、再びお恵比須様にお伺いをたてますと、お恵比須様は、「そんなはずはないのだが、お前の作った道具を見てあげよう。」と言って、その道具を調べてみますと、百本目の枝針が幹糸に巻きついていたのです。よく見ると、一本の髪の毛が絡まってそうなっていたのでした。
お恵比須様は、白鬚様に向かって、「このような神事をする前に禊(みそぎ)をしなかったであろう。身を清め梳(くしけず)りて漁を行えば、髪の毛が抜けて縄に絡まることなどあるはずがない。“毛絡(けがら)む”は“汚(けが)れる”の始めであるぞ」と諭されたと言う。そして、白鬚様はこの漁法を漁師に教え広めたと言われ、漁師は白鬚様を縄舟の神様と崇め、神社を作り祭ったのだと言う。

私が初めて聞く話でした。

白鬚様

Page Top