小坪

小坪は、ふるさと … 小坪のむかしばなし …

文: 高橋 正義

小坪にもあった大蛇の話

昔から漁師の諺(はなし)に蛇が海に入ると、大事になるという言い伝えがありました。大正12年アメリカに始まった世界的大不況の影響で、日本も昭和の初め頃までは大不況でした。
小坪でも同じでして、漁師の人たちは、魚はたくさん獲れるのですが売れません。ですから、安くなるばかりでした。漁業に見切りをつけた人々は、その頃から始まった軍事産業の工場にお勤めに行くようになりました。それまで、小坪の男の人たちの多くは漁師をしていました。
そして、その頃まで、小坪には茅葺き屋根の家が多くありました。その茅葺き屋根は、20年位で修理したくなるのですが、それには大量の茅が必要となります。屋根の修理をしようとする人は、早くから名主さんに申し出て茅を刈る順番を取らなければなりませんでした。小坪で茅が一番生えていたのは大崎山でした。そんな大昔のお話です。

古老の話しによりますと、それは、南町の源平のおじいさんのことです。ある年の秋、「今年は俺が家の屋根を直さなきゃあなんねぇで、ばあさんや俺が先に大崎山に行って茅を刈っているで、昼飯を持って後から来いや」と言い、おじいさんは、前の日によく研いでおいた鎌を持って、大崎山に登って茅を刈っておりました。
おばあさんが、朝ご飯の後片付けをして弁当とお茶を持ってきた頃には、おじいさんは、大きな茅の束をいくつも作って一息ついているところでした。
「おじいさん、おじいさん、お茶を一杯飲みなせい!」おばあさんの差し出した茶碗をもらった源平じいさんは、「おばあさんや、ちょうどいい所に松の根っこがあるもんだ」と言って、その根っこに腰をおろし、おいしそうにお茶を一杯飲みました。それを見たおばあさんが、「おじいさんや、松の木なんかねえのに、何で松の根っこがあるんだ」と、言いました。
源平じいさんは、「えっ!」と思わず腰の下をのぞきこみました。すると、松の根っこだと思っていた物が、急に動き出しました。
「おろち(大蛇)だ!」、びっくりして尻餅をついた源平じいさんを見向きもせず、大蛇は、ゆうゆうと草を押し分けながら南側の急斜面の方にかくれて行きました。
源平じいさんの話しを聞いて、大勢の人が心配そうに集まり相談しました。
その中の一番の長老が、話し始めました。
「俺も、昔、年寄りから聞いた話だが、何でも伊豆の山から、ときどき大蛇が海をわたって大崎山に来たそうだ。それは、伊豆で山焼きがあると、山の主も食べ物に困ってこっちに来るのだそうな。その日は、西の風も強く海も大荒れの日だそうな。一夜で相模灘を乗りきって、また、帰るときは、立て返(かえし)の大ならい(北東の風)に乗って、伊豆の山に帰るのだそうだ。だが、よいことに、その主は、人間には何も悪さはしねえそうだ。大崎山の野ネズミか野ウサギをたらふく食うと、おとなしく伊豆の山に帰るという。だから、今までに、一度も人が呑まれたとは聞いたことがねえ。そうっと、そうっとしていてやろうよ。」
集まった人々は、長老の話にじっと耳を傾け、うなずきました。

時代も昭和から平成に変わった今日。茅葺き屋根の家は一軒もなくなり、この話も語りつがれなくなるのでしょうか。

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